定例の冒頭で、
毎回、同じことを聞いている。
「あれ、どうなった?」
聞けば、動く。
聞かなければ、止まっている。
強く言えば、その週は進む。
翌週、また同じ場所で止まっている。
会社をやっていると、
どこかでこう信じるようになる。
社長は、一番働く人だ。
誰より早く来て、
誰より遅くまで残って、
誰より現場を知っている。
だから会社が回っている。
その感覚は、間違っていない。
ただ、会社はそう動いていない。
自分でやった方が早い。
自分で作った方が、
クオリティが高い。
ただしその高さは、
技術の話だけじゃない。
いい、悪いを決めるのが
自分だ、という意味だ。
自分で作れば、
自分の基準に届いたところで終わる。
人に渡せば、
作る人と決める人が分かれる。
分かれた瞬間に、
「これでいいか」が往復し始める。
その往復が、
自分でやるより遅い。
遅いだけじゃなくて、
自分の中の正解から
少しずつ離れていく感じがする。
これは、だいたい事実だ。
だから厄介なんだと思う。
嘘なら気づける。
本当だから、やめられない。
そのまま何年か続けると、
会社の成長の上限が、
社長一人の処理能力になる。
人が10人いても、
20人いても変わらない。
全部が社長の机を
通っていくから。
机の上で、「これでいい」が出るから。
ライブハウスをやっていると、
分かりやすい形で出る。
自分がPA卓に張り付けば、
その日のイベントはイメージに近づく。
それはそう。
いい音かどうかを
その場で決めているから、
当たり前といえば当たり前だ。
でもその2時間、
来月のブッキングや企画は進まない。
これは誰かが悪いわけではなく構造の話。
現場に居続けることは、情熱に見える。
実際、半分は情熱だ。
もう半分は、
人を信じきれていない、
ということでもある。
手を信じていないんじゃなくて、
「これでいい」を出す側を
まだ自分から外していない。
自分でやると決めた瞬間に、
誰かが経験するはずだった
一回を、取り上げている。
社長の仕事を
乱暴に三つに削ると、たぶんこうなる。
決めること。
何をやって、何をやらないか。
誰に任せて、どこに金を使うか。
回る形を作ること。
自分がいない日も、
昨日と同じ水準で
店が開く状態にすること。
未来を作ること。
今の売上ではなく、
次の売上を仕込むこと。
三つとも、「一番働く」ではない。
言い方を変えると、
一番働くというのは、
社長の仕事の中で
いちばん簡単な部分だ。
しんどいけど、簡単だ。
やればいいだけだから。
ここで少し、自分の話をする。
miuzic(弊社)のグループの曲は、
ほとんど自分が書いている。
作詞も作曲も、
だいたい自分の名前が入る。
強みだと思ってきたし、
今もそう思っている。
コスト面も外注するより抑えられる。
ただそれは同時に、
会社が出せる曲の本数が、
僕が書ける本数だ、
ということでもある。
今までに提供したり作ってきた経験は、
たぶん武器になっている。
その武器が、そのまま天井にもなる。
「自分が曲を書く」から、
「いい曲が続けて生まれる形を
会社に残す」へ。
この変換ができているかというと、
まだ、できていない。
現場の割り振りだけは、
少しずつ変えてきた。
八月のある土曜日、
浜松でのイベントと、
静岡でのメンバーの生誕祭が
同じ日に重なった。
昔なら、両方行こうとした。
どうにか回れないかを先に考えた。
その日は、浜松へ行った。
生誕祭は現場に任せて、
あとから写真で見た。
いいイベントだったらしい。
らしい、としか言えないのが、少し悔しい。
でも会社としては、
たぶんそれが正しかった。
今日起きている問題を
片付けるのが、スタッフの仕事。
明日起きる問題を
先に潰しておくのが、社長の仕事。
そう置いてみると、
自分の一日の使い方が、
だいぶ違って見える。
働いた量は、
必要条件で、十分条件じゃない。
まぁ、でも。
7月に会社の15周年で、
約12組が出るイベントをやった。
あれを一人で回すのは、
どう考えても無理だった。
無理だったから、
たくさんの人に渡した。
その一方で、
店の設備の工事の立ち会いには、
寝不足のまま朝から行った。
「お任せします」と
言った瞬間に、
何がどこまでやられているか、
誰も分からなくなる。
それが怖い。
新しい取引先との一回目は、
今も最後まで残って
挨拶している。
二回目からは任せる。
でも一回目だけは、
例外にしないと決めている。
任せろという話を
長々と書いておいて、これだ。
そして、現場が一番楽しい。
現場が終わった後、
スタッフ同士で食べるラーメンが美味しい。
矛盾してるね。
会社って、そういうもんだと思う。